一月も後半に突入し、一年で最も外気温の下がる時期になった。

 

私は心から何もする気が無くなり、夏の暑さのように生命の危険信号から命の根本を鼓舞され、逆に舞い上がろうとすることもせず、ただただ平穏だけを心掛ける。

 

しかしながらのボロアパートであり、目的を持ち、毎日何か少しでも”向上していっている”という実感が無いと、ただ過ぎる日々と30を過ぎ成長の止まった身体とのコントラストが精神を迷わせ、酔わせるので、一年で最も苦手な季節との共存は幾ばくしんどい。

 

いっそ全てを放棄したくなる朝、毎日だが、放棄したところで後々困るのは自分だという人並みの責任感がなんとか仕事に向かわせているだけの棒人形。 

 

暖かくなった時に大きく飛び立てることだけを願い、今日は仕事に出た勢いをきっかけにレコーディング用のギシギシいわない椅子を買いに行く。

 

こんなんでいいのかわからない。は何も岡村ちゃんだけの言葉ではない。

 

 

 

 

 

 

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このようにWEBやインターネットを人一倍駆使して過ごしているのだが、どうしても一つ気になることがある。

 

 

 

普段のキャラと、SNS上のキャラの乖離(かいり) についてだ。

 

 

 

これが

どーしても気になる。

 

 

 

別にSNSの中の話だけじゃなくて。

 

 

 

20年前から、ちょっと大きい会社なら当然のように社員同士のチャット機能は配備してあるし、小さな店や会社でもグループLINEなんて今や普通に連絡網扱い。

 

 

すごいね。

 

インターネット万歳ね。

 

おれもお世話になりっぱなし。

 

 

 

 

ただその発展により、すげーいやな事がある。

 

 

 

そういうグループLINEやチャットやSNS上では陽気に絡んでくるのに、生身であったら目を伏せて話しかけてもこないやつ。

 

こっちがさっきのやり取りの延長で、目を見て話そうとしても合わん合わん。

さっきの仲良い雰囲気なんだったん?

 

 

 

 

もうね、キャラが乖離しまくってんのよ。

 

 

 

 

ネットやLINEのやり取りで(泣)や(焦)を書いてる顔が真顔なのと同じ違和感。

  

そんな陽気な内面でもないのに、インターネットの世界ではすこぶる陽気だったりするわけ。

 

 

 

「デジタルな付き合い」

とでも名付けるか。

 

 

 

実際に会う人はさ。

もうちょっとちゃんとしてほしいわ。

 

こっちめっちゃ戸惑うし。

 

 

 

かというおれも、こうしてブログに文章を書いたりとかするから、普段の姿と違う面として見られるのは、当然なんやが、これでも気は使ってる。

 

 

ビックリマークとかさ、絵文字沢山使ったりとかさ、ようせん。

 

 

そんなテンションあげてリアクション返したり、そんなんじゃないもん。おれ。

 

 

 

普段と一緒。

もしくはその延長。

 

 

 

よう知らん人間に絡んでいったりさ。絡んできたりさ。

 

それで、普段も通してくれたらいいけどさ、まったく違ったりするからね。

 

逆にネットだけの付き合いなら全然気にもならないんやが。

 

 

 

 

 

しょーもない。

 

 

しょーもなー!だわ。

 

 

 

別になにがあったわけでもないんだか、ずっと気になってたのよね。

おれそういうのすごく嫌いだわ。

 

 

ま、そんだけの話なんだけど。

 

 

 

自分を活かすためのインターネット。

そこでの自分を、普段に活かせれないんなら、インターネットに使われとるみたい。

 

 

 

 

 

そんな感じ。

 

 

するけどね。

 

 

 

 

 

おれにはそんな感じで寄ってこんでほしいなぁ。

 

勘違いしちゃうから。

 

 

キャラが乖離しちゃってんのは、

すごく苦手。

 

 

 

 

 

 

今年を振り返る①。

 

 

 

熊本地震

 

 

 


正直、Facebookにも長文を書いたので、あまり改めて振り返る気がしない。


(テンション的には友達と温泉でも浸かりながらダハハと振り返るくらいが丁度いい感じなのだが、こっちには同じく地震を体験した友達が居ないので仕方がない)

 

 

 

 

というわけで、読みたい人は勝手にFacebookでフレンド申請してきてくれ。

 

いちお公開にしてあるから。

 

 

 

 

これはまず外せないかなぁ。

 

 

 

 

振り返りは続く。




 

 

 

クリーメリスマス。

 

 

例えばおれがアマゾンの奥地出身で、クリスマスを心から何とも思っていなく、いつもどおりの日常を過ごそうとし、一人で有意義に過ごした日記でも記そうもんなら、あるはずもない悲壮感をプラスアルファで受け取られ、さらには「一緒に過ごす人、いないのかな?」などと無駄な勘ぐり効果を生んでしまうクリスマスはやはり悪だと思うのだがこれどーよ日本!

 

 

 

 

 

 

まったく恐ろしい風習である。

 

 

 

 

こんなに。

仙人レベルでどうでもいいと思っているのに。

 

 

 

 

やはり良くない日だ。

 

 

 

 

 

おれの中のクリスマスの良さを強いて炙り出すとすれば、山下達郎のクリスマスイブや、マライヤキャリーのAll I want for Cristmas with youを聴くと気持ちが少し盛り上がる。

 

 

 

それくらいだ。

両方、季節に合ったとてもいい曲だと思う。

 

 

 

 


よってクリスマスとは。

 

生活を短歌に置き換えた場合の季語のようなもので、それ以上でも以下でもない。

 

 

 

 

 

 

とまぁ、必死な感じが出れば出るほど怪しい空気に。

 

怖い怖い。 

 

 

 

 

 

 

 

そんなおれから言えることは。

 

 

 

 

 

世界中の子供達おめでとう。

 

クリスマスは君らのためにある。

 

 

 

 

 

でっかい靴下でクリーメリスリス。

 

 

子供の頃の。

 

いい思い出があってよかった。

 

 

 

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