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『ザ・ワールドイズ・マイン』(1997〜2001)

 

著:新井英樹

 

  

 

自分が自分を生き易くするために、ありとあらゆるものを取り入れながら、誰もが生活してる。

 

狭い部屋の中でスペースを作るために、高さのある棚を買う。

生活しやすくなり、少し生き易くなる。

 

 

楽しいほうが毎日生き易いから、好きな音楽を探して、繰り返しそれを聴いたりする。

友達と遊ぶ予定を入れ、それまでを楽しみに過ごしたりする。

 

お金が無いよりあったほうが生き易いから、ヒモになったり、玉の輿を見つけたり、他人からだまし取ったり、毎日せっせと働く。

 

 

思考についても同じことが言える。

 

道徳教育で授かった武器は本社会ではあまり通用しないことを知り、自分なりの思考を得たいと願う。

この世界の中で、自分自身を生き易くするための思考。

 

三角コーナーの角まで追い詰められた思考が、まったく逆の視点を持った思考に出会い、それを脱したなんてことは今までに何度もある。

 

時に小説から、映画から、音楽から、人との出会いから。

旅に出ることだったり。病気からだって見えてくる。

 

人によっては宗教、哲学、インターネット。

 

おれは圧倒的に本からが多かったが。

 

 

 

生き易いことをテーマとするなら、

明るい少年アニメの主人公のような、盲信的な純朴さが心の大半を占めているほど、この世は生きづらい。

 

生半可な純朴さでは太刀打ちできないほど、世界の粋(すい)は歪曲し尽くしていることを、早かれ遅かれ知るからだ。

 

 

連続殺人や強姦や汚職や裏取引やなんや。

見ないようにするのは簡単やが、実際テレビを付ければそんなニュースばかりが踊っている。

 

きょうび、ネットの発達により表層的にクリーンな世界の一側面だけを見ながら一生を終えることは難しいように思う。

 

田舎暮らしがわりかしそれに近いような気もするが、それはおれの幼少期を過ごした阿蘇の日常に基づく想像の範囲内だ。

(ここで言う田舎は”半端ない田舎”のことである)

 

 

人が多いほど汚れる個所は増えていく。

人間が決して綺麗な存在じゃないから当然といえば当然かもしれない。

 

 

そんな絶望的な場面にはなるべく出会いたくないというのが本音だが、経験に裏打ちされてない前向きな言葉や、明るいキャラクターには何も感じないというのも本音だ。

 

 

自分の中にハンパに残る”正しさ”への憧れをへし折るような。

そんなものに出会って、そして真理への実感を得たいのだと思う。

おれの心のバランスを調整し、生き易くする手段としての残酷さをどこか求めている。

 

その実感の先にほんとのポジティブさや強さや”生き易さ”があるのだと信じて止まないおれは、願わずもがな大人になってしまったのだと思う。

 

 

新井英樹著「キーチ」。

そしてこの「ザ・ワールドイズ・マイン」。

 

 

これらの漫画と「出会う前」と「出会った後」で、自分のなかで知らぬ間に保護し、重きを置いていた「核」の部分が、少しだけ変形しているのを感じる。

 

 

ちなみに本作『ワールド・イズ・マイン』のキャッチコピーは、”20世紀最凶の漫画”である。  

時計仕掛けのオレンジどころじゃない仕上がりなので、読む人は気を付けたほうがいい。

 

それでいて経典であり、文学でもある。

 

 

パッと思い出すだけで、21世紀に代表される漫画のいくつかが、この漫画に多大な影響を受けていることがわかる。

 

当方のハマりにハマった映画「シンゴジラ」で描かれていることすら、ほぼほぼこの漫画で既に描かれているという有様だ。

 

 

人間の想像しうることは現実に起こりうる可能性のあること。

  

想像に耐えれぬなら一度味わっといたほうがいいと思う。