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2000年初頭のネット文化の潮流は、今思えば驚くほど激動だった。
それまでのアナログやISDN回線からADSLの出現。
街には無料でモデムを配る赤いハッピのキャンペーンガールに溢れ、高速通信を謳った迷惑な電話営業でさえびっくりするくらい契約が取れた。
ネットビジネスのベンチャー企業が台頭し始め、社長が営業上位者にポルシェをプレゼントしバブルの再来をアピールをしたり、求人誌を開けば出会い系のサクラバイトの募集に溢れ、ネットを取り巻く環境は明らかに次のフェーズへ。
WinnyWinMXはその渦中、ど真ん中にあったし、それが良いことなのか悪いことなのかの判断が行われる前に、若者の間に浸透した一つの"文化"だった。

 

作監督の愬える通り、Winny自体の技術を認め、更には助長することが出来れば、日本は現在世界のテック長者の一端となり得たかもしれない。
そうなれば、結果として今のような最悪の経済成長率、生活目線で言えば物価高や悪いデフレにはならなかった、その可能性は低いながらも確かにあったと思う。(低い、と書いたのはそもそも主体となる国民性は変わらないから)

 

マスクをなかなか外せないのも一例で、それはそれを良しとしない人達が一定数居るからでもある。
日本全体に根深い国民性として、出る杭は打つし、自分の中の常識を超えた新しいものを極端に怖がる、事なかれ主義。
一言で言えば極端に保守的。
そんな現場は今まで嫌ほど見てきたし、自分自身、それが肌に合わず海外に住んでいたこともあった。
この映画はそんな(自分からしたら苦手な)日本文化の象徴でもあり、これからも多分そうなんだろうなと、胸が苦しい部分が多々あった。

 

あの時何が起こって、それが世の中、延いては世界にどんな影響をもたらしたのか。
完全なドキュメンタリーではもちろん無いのだが、分かりやすいし、単に映像作品として素晴らしく、緊張と緩和がこれ以上は無いというような配分で置かれた、とても良い映画だった。
あの時代を思い出すとき、決まって風景は新宿、うだるような蒸し暑い夏なのは何故なのだろう。

 

最後に俳優陣、特に東出昌大は個人的に最高で、18kg増量は伊達じゃなく、怪演でした。

◾️

落ち込んだ時に開きがちな本があって、それはRed Hot Chili Peppersのボーカリスト、アンソニーキーディスの自伝本。
毎度読むとムクムク、生きる気力が湧いてくる。
何故だろうと考えると、そこには人生における"愛"と"失敗"の全てが書かれているようにおれには感じるから。
烏滸がましいが、励まされる。
日本の文化背景ではありえない、スリリングな人生がこれまたありえない程の記憶力で描写されており、そもそも自伝本の類いは好きなのだが、圧倒的一位に君臨し続けているし、恐らくこれからも超えられることはないだろう。

RHCPとは熊本の片田舎、実家から徒歩圏内にあった貸しレコード屋で出会った。
たしか当時の触れ込みは"世界最強のロックバンド"だったと記憶する(カリフォルニケーションが出た後くらいだったからね)。
その後、高校生にありがちな、あれ?レッチリ意外にムズくないぞ?等ほざきながらコピーバンドの道へ進むのだが、今思えば何一つ"コピー"なんて出来てなかったなと思う。

その後、アメリカに住んでいた頃にバイザウェイが出て、当時おれはLAに住んでおり金も無かったので、音飛びする安物のCDウォークマンでそのCDを聴きながら、よく街を散歩していた。
彼らの故郷でそれを聴き、その一部になれたような気がしていた。
あの頃、自分としても生活が180°変わり、色々と激動な時期だったこともあり、それらは記憶との結びつきがとても強い。
ほんとに繰り返し聴いたので、今だにソラで全曲歌えるような気がする。

映像も見れるものは全て未漁ったし、こんなに好きになった海外のバンドは当時、初めてだった。
ただ正直、熱心に聴いていたのはステーディアム〜までだったかなと思う。
歳を重ねるにつれ、もっと色んな音楽への興味が湧いて、寂しいがいつの間にかその中の一つ、みたいになってしまっていた。

とはいえ、その後のアルバムも全てチェックしてるし、好きな曲も沢山ある。
特にジョン復帰後の最新作(今日のEddieのギターソロまじやばかったよね...!)。
結果的にだが、時代と共に沢山の記憶と結びついてしまったRHCPは、自分にとって確実に特別なバンドの一つで、それはもう今後変わることは無いように思う。

来日公演があれば絶対観に行きたいし、メンバーがステージに現れただけで涙ぐんでしまう。
それはあの頃の記憶や、その音に救われた過去からくるノスタルジーというより、ステージに現れる彼らがそんな感傷を吹き飛ばすほど圧倒的に"現在進行形"で、信じられないほどパワフルだからだ。
いやいやすぐ脱ぐけど、あんたその身体いったい何歳すか!?てな具合だ。
自分と同じ、一つの魂の入った一人の人間が、たった四人で奏でてる音なんだなと。毎回信じられない気持ちになる。

まぁつまりは最高だったのよ(←突然の語彙力低下)
何だか無性に一文書きたくなってしまったので、帰りの駅のホームで殴り書き。
そして指先が寒いのよ...。

2023。東京ドーム。
圧倒的に楽しかった。

レッチリ、次はいつ観れるだろうか。

 

 

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子供の頃、人は誰もが揺るぎない聖域を保っているのに、なぜだろう。この世は少々複雑すぎるのだと思う。結果、大抵の人は何とか生き抜くために鈍感になることを選ぶし、鈍感になればなるほどこの世は生き易い。ただ同時に、心からの、歓喜の感情を得る可能性も失っていく。心を閉ざすことが癖になるからだ。


どっちを選ぼうとも失うものがあるのだから、それぞれが好きにやればいいと思う。折り合いのつく箇所で折れたところで、誰にも責める権利は無いし、自分だって散々折り畳んで今がある。


ただ、本気で人前で何かやろうとか、芸術だとか、表現者に必要なマインドは恐らく無二で、その聖域を保とうと抗い続けること。聖域とは、世間一般の常識と呼ばれる得体の知れない何かをまるっきり無視した、自身にとっての愚直な心の在り方。


複雑怪奇なこの世で必死にそれらを守りつつ、誠実に振り絞られた音や言葉や表現は、だからこそ儚く美しく力強い。人の心の奥底に触れることが出来るし、鈍感になりすぎた群衆はきっと気付かない。気付かないのだから、両方の意味で固執する必要も無い。


ただおれはそんな生き辛そうで、同じように世界に辟易し、抗っているような人とこれからも話をしたいし、仲間になりたいし、そんな表現に触れ続けていたい。そんな気持ちを再認識出来た、とあるおおくぼでの単独演奏会。🌃

 

 

 

 

 

◾️

この間知り合いと呑んでる時、ふと自分がどんな仕事をしてきたか、という話になった。


酔っぱらった頭で高校時代の小さなバイトから数えてみたのだが、大体25〜30種類くらいの仕事を経て今の仕事についているようだ。
数に驚いていたので、覚えてる限りの変なバイトをどんなバイトだったか説明してあげた。


バンドマンあるあるかもしれないが、やはり普通に大学出て就職して、みたいな人よりかは多いのだろう。

高校生の頃から5〜6種類やってたし、そんな永遠みたいなバイト生活を割と最近まで送っていたので、今でも履歴書を見ると負の感情しか沸かないし、経歴を書く度にこんなんじゃ音楽を真剣にやってきたおれの人生は測れないんだよぉぉ!とそのまま紙を火炙りしたくなる。


ただ、やりたいことは音楽しかなかったので、そのどれも特に情熱を持って取り組んだ記憶はないが、どの仕事もそんなに嫌いだった記憶もない。
いや、ヤな部分を忘れてるだけかもしれない。
(一件だけ、料理人を目指した時のバイトだけはちゃんと情熱を持ってやっていたが)

 
今現在、音楽だけで食える生活ではないが、最近作った未発表の、お気に入りの楽曲を聴いてると、そんなことよりその曲がこの世に存在してること自体に心躍り、救われることがある。
ぬかるんだ世界の中での一歩が、少しだけ軽くなる感じ。

自分への最低限の自信が取り戻せるのだろう。


それが金になれば尚良しやし、自分のエゴイスティックな表現と両立させることが目標だったりもしたのだが、そうじゃないとしても悪くない、そう、悪くないのかもしれない。

表現とはこの世を生き抜く為のただの排泄でもある。


ただ、おれは「数字に数えさせるおれの評価ぁ!ひぃぃや!」というようなヒップホップ的美学にも大変感銘を受けているため、これからも発表することだけは怠らず、やりたいなということだけは心に決めている。
それが自分と世界を繋ぐのか、繋がないのか、ただ在るだけでも価値はあるんやが、その先は。


出来れば商品数が多くて舌打ちしてしまうレジ打ちみたいにはなりたくないものだ。


どんな世界になろうとも、何かを好きな気持ちがいつだって世界をまわしてほしいという、希望の話。

そしてそれは今までいろんな仕事をしてきたからか、決して生温くてはいけないことも知ってる。

 

 

 

 

▪️

どれくらいぶりだろうか。

古巣である吉祥寺のWARPへ。

 

昨夜はI have a hurt主催、「痛いの痛いの飛んでゆけ」。

 

 

バンドのボーカルであり、イベントの主催者でもあるI have a hurtの蜷川さんと知り合ったのはかれこれ10年以上前だ。

当時の彼女がおれに気が合いそうな人がおると紹介してくれた。

知り合った頃、蜷川さんは特にバンドはやっておらず、もの凄く音楽に詳しい年上の友達。

お互い札幌のハードコアが大好きで、ライブハウスで会ってはそんな話をよくしていた。

 


そんな蜷川さんがバンドを組んだと聞いたのは、今からたしか8年くらい前。

それも今のおれくらいの年齢の時だったと、去年久々の呑みの席で聞いて凄く驚いた。

 
ハッキリ言って今のおれの年齢なんて、しぶとく続けてたバンドマンすらついに居なくなっていく、そんな年齢。

3度目の過渡期くらいな感じだ。

 


それから8年が経ち、蜷川さんはいまやハードコアのシーンでは知られた存在である。

 

 

バンドは初見というわけでは無かったが、大勢の観客の前でテレキャスを搔き鳴らし歌うその姿に、少し涙腺がゆるんだ。

もちろん、音楽的に素晴らしいのは言うまでもない。

 


世間では物事を始めるのに早い遅いは関係無いなどと言う。

とはいえ何かを遅く始めるにはそれなりに困難もあるように思う。 


ジャンルにもよるが、ことバンドで言うと一人では出来ないものだ。

年とともに背負うものが増えてしまったのか、先述したが多くの音楽仲間がそこから居なくなってしまった。

仕事的な何かかもしれないし、身体的な何かかもしれないし、家族的な何かかもしれないし、単純にモチベーションが無くなっただけかもしれない。

 
自分だけで完結する趣味のようなものならまだしも、バンドメンバーとバンドを転がし定期的にライブをやる。

またハコを借りイベントを主催、出演バンドを集め、ハコ代に見合った大勢のお客さんを集客する。

自分もやってきたので分かるのだが、まぁ楽しい反面大変だ。

 


何でもそうだが、口で言うだけならそれほど簡単なものはない。

だから自分は実際にやってる人が圧倒的に正義だと昔から思っている。

会話の折、バンドをやっていた、と過去形で喋るたび、おれは絶望の淵に立たされたような気持ちになるのはそのためだ。

今は流れ着いて一人で活動をしているが、それでも本分はバンドマンだと思っているのだろう。

 


今回訪れたWARPは自分としても馴染みが深く、初めて人前でドラムを叩いた思い出のライブハウスだ。

そんな懐かしのライブハウスの端っこで、1バンド目から6バンド目までをぶっ続けで見ながら、なんだか色んな想いが頭を駆け巡った

 
そしてトリで出てきたI have a hurtの演奏はほんとに素晴らしかった。

 


それは世の中に求められる年齢や態度、姿かたち。

変な固定概念に潰されそうな自分に喝を入れるような歌声だった。

 


絶望するにはまだ早いよ。

 


嗄れた声で歌う蜷川さんの歌声は、そんな音像となっておれの心の中に強く残った。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲▲ベースの弦を二度買いに行くに至った経緯について▲▲ 

 

 

秩序はその秩序が崩壊する瞬間の美しさの為にだけ、存在する。

それは時速30kmの球だとしてもデッドボールを避けないことであり、狂ったものを狂ったとすら感じないまともな姿勢である。

無秩序の同義語は自由だが、逆から読むところのそれは自由の崩壊だ。

全てにマヨネーズをかけてしまう自分への戒めでもある。

秩序とは、ルールに縛ることで均一的な等価を得ようとする外界のことであり、自分以外の全ての事象を指す。

ある種の悪だが、感情を裏切られない限り感じれないその”何か”はとても味が濃い。

ありきたりのものに飽きてしまった、などと無下な世界観を押し出す前に、いっぱしにほざく前に、花見にでも行くことだ。

お花畑の様な頭で知りたいと願わないことだ。

とどのつまり、ラブリーな雰囲気の女の子が「くまさん」というワードを発した瞬間に、その人の魅力の全てが抜け落ちてしまうような場面のことだ。

 

すべからく。


とはどういう意味なのだろうか。それを調べるほどの余剰を博していない脳に、血液が足りているかどうかは分からないが、ベースに対する話はこれくらいにして、作業に戻ります。

ちゃお。 

 

 

 

 

最近。

 

おじさん風のおばさんや。

 

おばさん風のおじさんをよく見かける。

 

性別の枠はどんどん薄れて、いつかは、おねしょしたり、赤子みたいに。

 

還る場所は同じ。

 

 

天国だったのだろうか。

 

地獄だったのだろうか。

 

 

もしインド哲学における輪廻転生があるとするなら。

 

なまこくらいがいい。

 

 

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= 極私的 つけ麺世界ランキング  2017現在 =

 

 

まず、おれにはこのランキングをつける資格があることをここに宣言しよう。

 

 

とても食っているからだ。

 

つけ麺を。

 

 

ランキングに新宿が多く、こいつ、もしかして新宿でしかつけ麺食ってねぇんじゃねえか?と思われそうだ。

 

 

ノーノーノー。

  

誤解しないでいただきたい。

 

 

たまたまレベルが高いのだ。

 

新宿。

 

 

 

1. 風雲児 (新宿)

 

 

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言わずと知れたつけ麺界の「風雲児」。すごい人気店でも時間帯によって”並び”(人気バロメータ)にムラが出るのだが、風雲児は一定。オープン時間帯過ぎたらずっと並んどる。それくらい凄い。凄まじく美味い。仕事が丁寧。なんだかつけ汁フルーティ。どんだけ時間かけて作ってるんだと、強いこだわり溢れる一杯。元ホテルマンの素晴らしいホスピタリティを持った店長(サーファー風)が出迎えてくれます。世界1位。

 

 

 

2. 翔 (新宿)

 

 

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都内の塩ラーメンではトップクラスの人気店。とても有名な翔。普通のラーメンも最高なのに、つけ麺がバリうまい。トッピングの宝庫。ローストビーフ、鶏胸肉など、4種類くらいの肉がちょっとずつ入ったり、乗ったりしている。少し乗ったわさびがとても上品。しっかりした鶏白湯のつけ汁。濃さにも抜かりなし。世界2位。

 

 

 

3. 魚雷 (熊本)

 

 

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唯一都外からランクインの熊本の魚雷。なんといってもカレーのルー(ザラザラ)トッピング。これが革新的な旨味であり、ほかに見たことない。魚介系の王道を行く味ながら、ちゃんとその先まで到達している。九州ラーメン界の良心。熊本でつけ麺食うなら魚雷。他は行かんでよろしいよ。世界3位。

 

 

 

4. 五ノ神製作所 (新宿)

 

 

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全国的にはまだ所縁のない海老つけ麺を展開する当店。この店も凄まじい人気店。見た目通りのおしゃれな味付けにより、女性客がとても多い。僕は毎回、海老トマトつけ麺(バジル付き)を食べます。トマトの酸味、肉と海老の旨味でなんだか爽やか。でも味しっかり。ここでしか食えない味。三回目にハマります。世界4位。

 

 

以上、つけ麺、世界ランキングをお送りした。これを見て来店した方。一回目でピンと来ないこともあるだろう。でも二度、三度来店してみてほしいと思う。素晴らしい芸術はその奥深さゆえ、一度じゃその良さに気付けないのです。レッドツェッペリンなのです。ご静聴ありがとう。さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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二郎