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この間知り合いと呑んでる時、ふと自分がどんな仕事をしてきたか、という話になった。


酔っぱらった頭で高校時代の小さなバイトから数えてみたのだが、大体25〜30種類くらいの仕事を経て今の仕事についているようだ。
数に驚いていたので、覚えてる限りの変なバイトをどんなバイトだったか説明してあげた。


バンドマンあるあるかもしれないが、やはり普通に大学出て就職して、みたいな人よりかは多いのだろう。

高校生の頃から5〜6種類やってたし、そんな永遠みたいなバイト生活を割と最近まで送っていたので、今でも履歴書を見ると負の感情しか沸かないし、経歴を書く度にこんなんじゃ音楽を真剣にやってきたおれの人生は測れないんだよぉぉ!とそのまま紙を火炙りしたくなる。


ただ、やりたいことは音楽しかなかったので、そのどれも特に情熱を持って取り組んだ記憶はないが、どの仕事もそんなに嫌いだった記憶もない。
いや、ヤな部分を忘れてるだけかもしれない。
(一件だけ、料理人を目指した時のバイトだけはちゃんと情熱を持ってやっていたが)

 
今現在、音楽だけで食える生活ではないが、最近作った未発表の、お気に入りの楽曲を聴いてると、そんなことよりその曲がこの世に存在してること自体に心躍り、救われることがある。
ぬかるんだ世界の中での一歩が、少しだけ軽くなる感じ。

自分への最低限の自信が取り戻せるのだろう。


それが金になれば尚良しやし、自分のエゴイスティックな表現と両立させることが目標だったりもしたのだが、そうじゃないとしても悪くない、そう、悪くないのかもしれない。

表現とはこの世を生き抜く為のただの排泄でもある。


ただ、おれは「数字に数えさせるおれの評価ぁ!ひぃぃや!」というようなヒップホップ的美学にも大変感銘を受けているため、これからも発表することだけは怠らず、やりたいなということだけは心に決めている。
それが自分と世界を繋ぐのか、繋がないのか、ただ在るだけでも価値はあるんやが、その先は。


出来れば商品数が多くて舌打ちしてしまうレジ打ちみたいにはなりたくないものだ。


どんな世界になろうとも、何かを好きな気持ちがいつだって世界をまわしてほしいという、希望の話。

そしてそれは今までいろんな仕事をしてきたからか、決して生温くてはいけないことも知ってる。