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どれくらいぶりだろうか。

古巣である吉祥寺のWARPへ。

 

昨夜はI have a hurt主催、「痛いの痛いの飛んでゆけ」。

 

 

バンドのボーカルであり、イベントの主催者でもあるI have a hurtの蜷川さんと知り合ったのはかれこれ10年以上前だ。

当時の彼女がおれに気が合いそうな人がおると紹介してくれた。

知り合った頃、蜷川さんは特にバンドはやっておらず、もの凄く音楽に詳しい年上の友達。

お互い札幌のハードコアが大好きで、ライブハウスで会ってはそんな話をよくしていた。

 


そんな蜷川さんがバンドを組んだと聞いたのは、今からたしか8年くらい前。

それも今のおれくらいの年齢の時だったと、去年久々の呑みの席で聞いて凄く驚いた。

 
ハッキリ言って今のおれの年齢なんて、しぶとく続けてたバンドマンすらついに居なくなっていく、そんな年齢。

3度目の過渡期くらいな感じだ。

 


それから8年が経ち、蜷川さんはいまやハードコアのシーンでは知られた存在である。

 

 

バンドは初見というわけでは無かったが、大勢の観客の前でテレキャスを搔き鳴らし歌うその姿に、少し涙腺がゆるんだ。

もちろん、音楽的に素晴らしいのは言うまでもない。

 


世間では物事を始めるのに早い遅いは関係無いなどと言う。

とはいえ何かを遅く始めるにはそれなりに困難もあるように思う。 


ジャンルにもよるが、ことバンドで言うと一人では出来ないものだ。

年とともに背負うものが増えてしまったのか、先述したが多くの音楽仲間がそこから居なくなってしまった。

仕事的な何かかもしれないし、身体的な何かかもしれないし、家族的な何かかもしれないし、単純にモチベーションが無くなっただけかもしれない。

 
自分だけで完結する趣味のようなものならまだしも、バンドメンバーとバンドを転がし定期的にライブをやる。

またハコを借りイベントを主催、出演バンドを集め、ハコ代に見合った大勢のお客さんを集客する。

自分もやってきたので分かるのだが、まぁ楽しい反面大変だ。

 


何でもそうだが、口で言うだけならそれほど簡単なものはない。

だから自分は実際にやってる人が圧倒的に正義だと昔から思っている。

会話の折、バンドをやっていた、と過去形で喋るたび、おれは絶望の淵に立たされたような気持ちになるのはそのためだ。

今は流れ着いて一人で活動をしているが、それでも本分はバンドマンだと思っているのだろう。

 


今回訪れたWARPは自分としても馴染みが深く、初めて人前でドラムを叩いた思い出のライブハウスだ。

そんな懐かしのライブハウスの端っこで、1バンド目から6バンド目までをぶっ続けで見ながら、なんだか色んな想いが頭を駆け巡った

 
そしてトリで出てきたI have a hurtの演奏はほんとに素晴らしかった。

 


それは世の中に求められる年齢や態度、姿かたち。

変な固定概念に潰されそうな自分に喝を入れるような歌声だった。

 


絶望するにはまだ早いよ。

 


嗄れた声で歌う蜷川さんの歌声は、そんな音像となっておれの心の中に強く残った。