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子供の頃、人は誰もが揺るぎない聖域を保っているのに、なぜだろう。この世は少々複雑すぎるのだと思う。結果、大抵の人は何とか生き抜くために鈍感になることを選ぶし、鈍感になればなるほどこの世は生き易い。ただ同時に、心からの、歓喜の感情を得る可能性も失っていく。心を閉ざすことが癖になるからだ。


どっちを選ぼうとも失うものがあるのだから、それぞれが好きにやればいいと思う。折り合いのつく箇所で折れたところで、誰にも責める権利は無いし、自分だって散々折り畳んで今がある。


ただ、本気で人前で何かやろうとか、芸術だとか、表現者に必要なマインドは恐らく無二で、その聖域を保とうと抗い続けること。聖域とは、世間一般の常識と呼ばれる得体の知れない何かをまるっきり無視した、自身にとっての愚直な心の在り方。


複雑怪奇なこの世で必死にそれらを守りつつ、誠実に振り絞られた音や言葉や表現は、だからこそ儚く美しく力強い。人の心の奥底に触れることが出来るし、鈍感になりすぎた群衆はきっと気付かない。気付かないのだから、両方の意味で固執する必要も無い。


ただおれはそんな生き辛そうで、同じように世界に辟易し、抗っているような人とこれからも話をしたいし、仲間になりたいし、そんな表現に触れ続けていたい。そんな気持ちを再認識出来た、とあるおおくぼでの単独演奏会。🌃