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3日間ほど地元熊本へ帰郷した。

 

 

成田の朝の便であったため、徹夜をしてそのまま朝方の飛行機に乗ったのがマズかった。

 

 

熊本に着いたはいいものの、眠い。

とても眠い。

眠すぎて何も出来ない。

 

 

車の運転なんてしたら5分で自動販売機に突っ込みそうな眠さだ。

 

 

 

LCC(格安航空会社)も考えものである。

便数が少ないので時間の融通が効かない。

 

 

普通に朝起きて行っていたにしろ、阿佐ヶ谷の4:40分の始発に乗らないといけないので、4:00起き。

 

 

4:00起きなんて、小学生の頃にがんばってクワガタやカブトムシを捕まえに行くために起きる時間帯であり、それほどのモチベーションを持ち合わせないおれにとっては徹夜一択。九索の単騎待ちである。

(実は以前、前夜に仮眠しようとして寝坊している)

 

 

というわけで、徹夜を果たし、飛行機で寝るも、飛行機会社史上最も垂直だと言われている某ジェットスターの座席で眠気なんて取れるはずもなく、一日をほぼ棒にふる自体に。

 

 

旅行にせ、帰郷にせ、やはり折角の遠出は旅程に余裕を持ちたいものだ。

 

 

 

 

熊本ではマイメンMontelimaの半ちゃんプラス誰か、という面子で二回スタジオに入った。

パートを決めずドラム叩いたり、ベースを弾いたり。

皆マルチな演奏家であったため、音楽で遊ぶにはこの上ない。

 

 

今までの人生で何度も挫折した、スケールの勉強をもう一度始めようかと、そんな気分になるスタジオであった。

 

 

音楽に割く時間をもっと増やしたい。

 

 

 

それとは別に、海の見えるとこまで車を走らせてみたり、海辺のうどん屋で鍋焼きうどんを食べたり、久しぶりの凛やに行ったり、家族に会ったり、少しの余暇だったが充電した。

 

 

 

温泉に行く余裕が無かったのだけ悔やまれる。

 

 

 

搭乗までの時間など、旅中の待ち時間は今話題のテレビドラマを見ることで暇をつぶした。

 

 

 

最後まで見て、特別面白いドラマだとは思わなかったが、立てられたトピック自体は興味深いものだった。

 

 

ただ、あれがそんなに話題に上がるのは、何かしらのデカい組織(多分某アミューズ)の陰謀としか思えない。

一つ言えるのは、家事代行業者を頼んで、ガッキー的チャーミングさと真面目さを持ちあわせた女が現れる確率は宇宙の始まりほどの低さだろう。

 

 

 

世の中の流行りを面白がるパワーが減退してる昨今だが(個人的に)、時代を象徴するものを見てみたいという気持ちは少しだけある。

 

 

まあ結局「面白がる」程度で、人生を左右するような作品にオーバーグラウンドのシーンで出会うことはほぼ無いのだが。

 

 

 

テレビだと面白いのはアベマやフレッシュなどのネットTVの専門チャンネルくらいかな。

それもあんま見らんけど。

 

 

 

このまま年末年始は映画と音楽に時間を割いていくつもりである。

気になるのは、グザヴィエ・ドランの作。

 

 

 

アップリンクの見逃した映画特集は毎年の楽しみな行事だ。

上映リストを見たところ、去年ほどのワクワクさは無いが。

 

 

 

そんな感じで、あっという間に年など明けてしまうのだろう。

 

 

忘年会など、馴れ合いと一過性の集まりにまったく興味が無いのは毎年同様。

身内とならやりたいが、なぜかおれの周りには酒飲みが少ない。

 

 

 

 

今年はCDが出せてよかった。

来年はもっといい作品を残したい。

 

 

 

 

今もこうして歌詞を書く。

そのための準備はもうとっくに始めている。

 

ボブディラン同様、おれは誰にも期待していない。

 

 

 

 

 

 

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年に5回ほどテレビを付けることがある。

 

 

DVDはよく借りて見てるので、この場合は地上波でも見てみるか、の意だ。

 

 

 

そんな心持ちになるのが最近は年5回ほどと少ない。

 

子供の頃は熱烈なテレビっ子だったのだが。

 

 

 

 

貴重なタイミングなのだが、そんな時、たまたま見たい番組をやってたりするから不思議だ。

 

一ヶ月の番組表を見渡したとして、唯一興味があると思えるような番組に、そういう日はだいたい当たる。

 

 

 

 

NHKの「ボブディラン特集」。

 

 

 

 

おれの中のボブディラン、なんて話をするほどおれはボブディランのファンではない。

だが、テレビでボブディランのドキュメンタリーをやってたのなら、それを見ない手はない。

 

 

 

 

ボブディランがフォークの新生として人気を博したのち、かの有名な”Like a rolling stone”を発表した頃の映像だった。

 

フォークなディランのファンになった人たちは、新しくエレキギターを構えたボブディランを痛烈に批判する。

 

 

 

そんな時期。

あるライブ会場での映像だった。

 

 

 

曲間でファンの一人が叫ぶ。

 

 

 

「ユダ!(裏切りもの)」

 

 

 

 

会場は大いに沸く。

実にアメリカらしい。

 

 

 

 

 

それを聞いたボブディランの一言はこうだ。

 

 

 

 

 

 

「おれはお前らになんか期待してない。」

 

 

 

 

 

 

静まり返る会場が映っていた。

 

  

どうやらおれはこの言葉を聞くためにテレビをつけたらしい。

もしかしたらファンの間では有名なエピソードなのかもしれない。

 

 

 

正直、その後のボブディランの歌詞制作の秘密みたいなドキュメンタリーはどうでも良かった。

 

 

 

 

身体が熱くなった。

 

これだからたまに見るテレビは辞められない。

 

 

 

 

 

今夜はボブディランを聴きながら寝ることにした。

 

 

 

 

 

 

この世で最も好きな建造物。

 

奥多摩氷川工場。

 

に行った時の写真が出てきたので掲載。

 

 

 

おれのような重機や工場、廃墟ファンの人は是非行ってみるといい。

(これは一部である)

 

 

アー写撮影の際、ここに出会った時の感動は忘れられない。

 

 

 

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コンビニではスマップが爆音でかかっている。

そしてそれは、ただかかっているわけではない。

 

 

メドレー方式である。

 

 

今が2016年12月であることを強く実感させる。

 

 

 

 

 

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おればバイクが好きだった。

 


16歳で中型自動二輪の免許を取って、初めて買ったバイクはSR400。


タンクはオレンジにペイントされたオリジナルで、トラッカー仕様のハンドルが取り付けられたカスタムバイクだった。

 


週末は免許取り立ての友達たちと、名も知らない峠に向かい、何度も死にかけた。

 


楽しかった。

 



山でスリップしてバイクに足が挟まれたまま数十メートル引きずられようが、帰りにはいつもの溜まり場で仲間とはしゃいでた。

 

ジーンズじゃなかったら終わっていた。

 


幸運にも大事故を起こすようなことはなかった。
大抵自爆である。

 



転ぶとハンドルが曲がってしまうので、直すまでの気持ち悪い感覚を今でも覚えている。


命をかけて遊ぶという美徳で、生を実感する崇高な手段は若さに便乗する。

 

田舎だということもあっただろう。

 

命の重さなど、言葉だけでは通用しない年頃だった。

 

 


のちにそれはバンドで速い曲を演奏することに取って代わるのだが。

 

 



音楽に気持ち良さを見出したのはそんな瞬間でもあった。

同じ場所で演奏しているのに、ドラムやベースと一緒に演奏することで、バイクに乗ってる時のようなスピードによる快感が得られる。

 


いまでも不思議に思う。
スタジオなんて狭い空間で、一歩たりとも動かなくとも演奏中のスリリングさはスピード感を伴い、アドレナリンを放出させる。

 


バイクのようにスピードを出しすぎて崖から身体が投げ出される危険性もない。

 


そんなことを考えつつ、なぜか。

 

最近またバイクに乗りたいなぁという想いにふけっている。

 


冬のバイクから立ち上がる排気ガスとエンジンの蒸気に目を奪われてしまうのだ。


バンドをやってないからだろうか。

 

 


写真は東京に出たあと、22歳くらいのころに自分好みにカスタムしまくって乗っていた、XS250という旧車だ。

 


こちらもキックでのエンジン始動。
アナログは美徳だが、続けるのはなかなか大変である。


ほんとに好きな人にしか続けられない。

 

別にキックが嫌で手放したわけではないが。

 


フリーウェイという125のスクーターなんて今の自分にピッタリだと思う。
昔から好きなバイクだ。

 

形もレトロでかっこいいし車検もない。

 

 

旧車で出回る数も少ないので手に入るかどうか。 

 

 

 

冬のバイクなんてしんどいだけ。

頭で考えるだけなら答えはひとつだ。

 

 


またバイクに乗る日は来るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

新たにブログを始めて、初めてこんなに休んだ。

単に書く気がしなかったのだ。

 

色々起こりすぎると、その出来事と対峙するだけである意味満足してしまい、なかなか書く気にならない。

 

まぁルーティーンで書いているわけではないので、こんなゆるい感じでいいのだが。

 

 

私のスタンスとしては、人生の面白味を文章に残すというより、人生における”しこり”のようなものをドロドロに溶かすために文章を書いている。

 

それはある意味、音楽を作る動機と同じかもしれない。

 

音楽にはもう少し面白味を孕めるが、いい記憶はその場の高揚感を頂点とし落ちて行ってしまうので、後のノスタルジーの憩いの場になるのは音楽や文章の必然である。

 

 

瞬間には勝てない。

 

 

二次的喜びや追憶、迷走の記録。

 

行きつけのコーヒーショップでそれらを見つめている。

 

 

 

 

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パッとこれを見て。

 

トラウトマスクレプリカだと。

認識してもらえないと寂しくなるのは。

 

要は。

 

おれはオタクなのだな。

 

 

納得。