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年に5回ほどテレビを付けることがある。

 

 

DVDはよく借りて見てるので、この場合は地上波でも見てみるか、の意だ。

 

 

 

そんな心持ちになるのが最近は年5回ほどと少ない。

 

子供の頃は熱烈なテレビっ子だったのだが。

 

 

 

 

貴重なタイミングなのだが、そんな時、たまたま見たい番組をやってたりするから不思議だ。

 

一ヶ月の番組表を見渡したとして、唯一興味があると思えるような番組に、そういう日はだいたい当たる。

 

 

 

 

NHKの「ボブディラン特集」。

 

 

 

 

おれの中のボブディラン、なんて話をするほどおれはボブディランのファンではない。

だが、テレビでボブディランのドキュメンタリーをやってたのなら、それを見ない手はない。

 

 

 

 

ボブディランがフォークの新生として人気を博したのち、かの有名な”Like a rolling stone”を発表した頃の映像だった。

 

フォークなディランのファンになった人たちは、新しくエレキギターを構えたボブディランを痛烈に批判する。

 

 

 

そんな時期。

あるライブ会場での映像だった。

 

 

 

曲間でファンの一人が叫ぶ。

 

 

 

「ユダ!(裏切りもの)」

 

 

 

 

会場は大いに沸く。

実にアメリカらしい。

 

 

 

 

 

それを聞いたボブディランの一言はこうだ。

 

 

 

 

 

 

「おれはお前らになんか期待してない。」

 

 

 

 

 

 

静まり返る会場が映っていた。

 

  

どうやらおれはこの言葉を聞くためにテレビをつけたらしい。

もしかしたらファンの間では有名なエピソードなのかもしれない。

 

 

 

正直、その後のボブディランの歌詞制作の秘密みたいなドキュメンタリーはどうでも良かった。

 

 

 

 

身体が熱くなった。

 

これだからたまに見るテレビは辞められない。

 

 

 

 

 

今夜はボブディランを聴きながら寝ることにした。

 

 

 

 

 

 

この世で最も好きな建造物。

 

奥多摩氷川工場。

 

に行った時の写真が出てきたので掲載。

 

 

 

おれのような重機や工場、廃墟ファンの人は是非行ってみるといい。

(これは一部である)

 

 

アー写撮影の際、ここに出会った時の感動は忘れられない。

 

 

 

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コンビニではスマップが爆音でかかっている。

そしてそれは、ただかかっているわけではない。

 

 

メドレー方式である。

 

 

今が2016年12月であることを強く実感させる。

 

 

 

 

 

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おればバイクが好きだった。

 


16歳で中型自動二輪の免許を取って、初めて買ったバイクはSR400。


タンクはオレンジにペイントされたオリジナルで、トラッカー仕様のハンドルが取り付けられたカスタムバイクだった。

 


週末は免許取り立ての友達たちと、名も知らない峠に向かい、何度も死にかけた。

 


楽しかった。

 



山でスリップしてバイクに足が挟まれたまま数十メートル引きずられようが、帰りにはいつもの溜まり場で仲間とはしゃいでた。

 

ジーンズじゃなかったら終わっていた。

 


幸運にも大事故を起こすようなことはなかった。
大抵自爆である。

 



転ぶとハンドルが曲がってしまうので、直すまでの気持ち悪い感覚を今でも覚えている。


命をかけて遊ぶという美徳で、生を実感する崇高な手段は若さに便乗する。

 

田舎だということもあっただろう。

 

命の重さなど、言葉だけでは通用しない年頃だった。

 

 


のちにそれはバンドで速い曲を演奏することに取って代わるのだが。

 

 



音楽に気持ち良さを見出したのはそんな瞬間でもあった。

同じ場所で演奏しているのに、ドラムやベースと一緒に演奏することで、バイクに乗ってる時のようなスピードによる快感が得られる。

 


いまでも不思議に思う。
スタジオなんて狭い空間で、一歩たりとも動かなくとも演奏中のスリリングさはスピード感を伴い、アドレナリンを放出させる。

 


バイクのようにスピードを出しすぎて崖から身体が投げ出される危険性もない。

 


そんなことを考えつつ、なぜか。

 

最近またバイクに乗りたいなぁという想いにふけっている。

 


冬のバイクから立ち上がる排気ガスとエンジンの蒸気に目を奪われてしまうのだ。


バンドをやってないからだろうか。

 

 


写真は東京に出たあと、22歳くらいのころに自分好みにカスタムしまくって乗っていた、XS250という旧車だ。

 


こちらもキックでのエンジン始動。
アナログは美徳だが、続けるのはなかなか大変である。


ほんとに好きな人にしか続けられない。

 

別にキックが嫌で手放したわけではないが。

 


フリーウェイという125のスクーターなんて今の自分にピッタリだと思う。
昔から好きなバイクだ。

 

形もレトロでかっこいいし車検もない。

 

 

旧車で出回る数も少ないので手に入るかどうか。 

 

 

 

冬のバイクなんてしんどいだけ。

頭で考えるだけなら答えはひとつだ。

 

 


またバイクに乗る日は来るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

新たにブログを始めて、初めてこんなに休んだ。

単に書く気がしなかったのだ。

 

色々起こりすぎると、その出来事と対峙するだけである意味満足してしまい、なかなか書く気にならない。

 

まぁルーティーンで書いているわけではないので、こんなゆるい感じでいいのだが。

 

 

私のスタンスとしては、人生の面白味を文章に残すというより、人生における”しこり”のようなものをドロドロに溶かすために文章を書いている。

 

それはある意味、音楽を作る動機と同じかもしれない。

 

音楽にはもう少し面白味を孕めるが、いい記憶はその場の高揚感を頂点とし落ちて行ってしまうので、後のノスタルジーの憩いの場になるのは音楽や文章の必然である。

 

 

瞬間には勝てない。

 

 

二次的喜びや追憶、迷走の記録。

 

行きつけのコーヒーショップでそれらを見つめている。

 

 

 

 

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パッとこれを見て。

 

トラウトマスクレプリカだと。

認識してもらえないと寂しくなるのは。

 

要は。

 

おれはオタクなのだな。

 

 

納得。

 

 

 

 

 

舟と舟レコーズのメイン(?)キャラクターを描いた。

 

とくに名前は、無い。

 

 

無心に色を塗っていると、とても心が落ち着く。

別に絵が描きたいわけではなく、色を塗りたいがためにその対象を描いている気がする。

 

おもいっきりアホでシュールなものか、幾何学的な雰囲気のものがタイプである。

 

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

 

スタンリーキューブリック作。

2001年宇宙の旅」を観て、どうしようもない心模様になっている。

 

途中から胸の鼓動が収まらなかった。

 

 

SF映画の金字塔と言われる本作だが、SF映画を好んで見ることがないので、なんとなくスルーしていた。

 

 

その日の目的の映画。

 

羊たちの沈黙が全借りされており、シャイニングと迷った結果、なんとなくこっちを借りた。

 

 

見終わったあと。

一人で唸った。

 

 

凄い映画を選んでしまったと。

 

 

なんて寂しい気持ちになる映画なのだろう。

一人でいるのがとても怖い。

 

ラストの意味がわからない、という話はたまに耳にしていたのだが、感覚の視覚化であり、説明は要らないのだろう。

意味不明という”意味”を持たせたのだと理解。

 

 

あれが狙って作られたのであれば、キューブリックはキマっている。

 

 

 

ラストも含めて、あまり文章で解説するような映画じゃないと思う。

 

 

 

何度も書くが。

 

 

すごい映画。

 

観た人ともっと分かち合いたくなる。

 

 

分かり合えないその続きを。